北関東、またの名を南東北と呼ぶi一角に、ご存知茨城県があります。太平洋に面したこの県は、漁業はもちろん、関東平野にあって農業も盛んです。
その県庁所在地が水戸です。「水戸納豆」や「水戸黄門」で、全国的にも有名です。今回は「明治時代の東京大学」と呼ばれた『弘道館』を紹介します。
弘道館
創立1841年(天保12年)8月。第9代藩主徳川斉昭によって、水戸城三の丸内に作られた。教育方針は、文武両道。馬術、剣道、武道のほかにも、広く、諸科学、諸学問が研究された。吉田松陰の留学の地としても有名。
学問に関して、当時広く学ばれていた人文科学、社会学のほか、2代目藩主徳川光圀が編纂を始めた『大日本史』の影響を受けた「水戸学」の舞台ともなった。
(水戸学<みとがく>は、常陸国水戸藩(現在の茨城県北部)で形成された学問である。その内容は、君臣上下の名分を厳格に維持することが社会の秩序を安定させる要となる、というものである。 この考えが、後の尊王論に理論的根拠を与えることとなる)
しばしば、現在の総合大学に例えられるが、学問は一生行うものであるという考えに基づいて、特に卒業の概念を設けず、若者も老人も同じ場で学んだといわれている。
中門です。どこかの立派な農家の母屋みたいですね。
尊攘って書いてあります。掲げてあることはすごいですね。
尊皇のところに尊農。狙ったと言って欲しい。
眉毛が太かった徳川慶喜。
弘道館その後
明治維新のさい、水戸藩では改革派(天狗党)と保守派(諸生党)が激しく争い、弘道館もその舞台となった。1868年、会津戦争で敗走した諸生党が水戸に舞い戻り、弘道館に立てこもった。それによる銃砲撃で多くの建物が消失した。(弘道館戦争)
「尊攘」という大きな言葉を掲げておきながら、維新派の先頭に立って置きながら、肝心のところで内部分裂してしまったという歴史は、全くもって笑えない話である。
茨城県民としては、非常に「衝撃的事実」として深く心に残った、今回の散策でした。